知識は、これからも必要
人は、頭の中にある知識を組み合わせて考えている。何を疑問に思うか、何が大切かを判断するのも、結局は自分の中にある知識が決める。AIに何を聞くかを決めるのも、出てきた答えが正しいかを見極めるのも、自分の知識ベースがあってこそ。
知識のない人は、AIの答えを鵜呑みにするしかない。逆に言えば、知識のある人ほどAIを使いこなせる。AI時代だからこそ、基礎知識の価値は上がっている。
知識の習得は、AIが手伝える
ただし、知識を頭に入れる作業自体は、AIで劇的に効率化できる。先生1人が40人に同じ授業をするより、AIが一人ひとりのペースに合わせて、つまずいた瞬間に説明を変えてくれる。質問はいつでも、何度でもできる。
こうした学習サービスを、無料に近い形で、すべての子どもに届ける。それが、我々が今まさに作ろうとしているものだ。経済力に関係なく、すべての家庭に届く。「親が勉強を見てあげられない」家庭でも、AIが親のように伴走してくれる。
行くしかない学校で、何をするのか
学校は、行かなければならない。義務教育は、子どもが選択できない。塾も習い事も選べる時代に、小学校と中学校の9年間だけは、強制的に通わされる。
だから問うべきは、「AIと学校のどちらを選ぶか」ではない。行くしかない学校に、子どもは何のために通うのか、である。
その9年間が時代に合っていなかったときの損失は計り知れない。10歳の1年間は、人生で1回しかない。
AIが知識習得を肩代わりできる今、学校は本来やるべきことに集中できるはずだ。
AIにできないこととは何か。
同じ教室で、同じ時間を過ごす。意見が合わない同級生とぶつかる。給食を一緒に食べる。運動会で汗をかく。文化祭で何かを共に作り上げる。先生に怒られる。失敗を友達に見られる。
これらはすべて、身体と物理的な場所がないと成立しない。AIがどれだけ進化しても、画面の向こう側で完結してしまう。
そして、こうした経験こそが、人と関わる力、感情を扱う力、空気を読む力を育てる。AI時代に最も価値が出るのは、皮肉なことに、AIから最も遠い能力なのだ。
AIに学習を任せることは、学びを奪うことではない
予習と復習をAIで効率化すれば、子どもは机に向かう時間を減らせる。学校の側も、生徒がある程度予習してくる前提で授業を進められるなら、これまでより速く進められる。
そうして生まれた時間を、子ども同士の対話、共同作業、身体を動かす経験に使う。
AIに学習を任せることは、子どもから学びを奪うのではない。子どもを、本当に大切な学びに集中させる行為だ。